History

身体論の通史

哲学者・科学者の登場、著作の刊行、実験や発見を、ひとつの時間軸に並べる。 哲学史でも医学史でもなく、その両方を「身体とは何か」という一つの問いのもとで見るための年表。

Era

古代

魂・生命・身体

  1. 前427頃–前347

    人物

    プラトン

    Plato

    身体を魂の牢獄とみなし、認識を身体からの浄化と考えた。

  2. 前384–前322

    人物

    アリストテレス

    Aristotle

    魂を身体に宿るものではなく、生きた身体をその身体たらしめる形相と考えた。

  3. 前4世紀

    著作

    『パイドン』

    Φαίδων / プラトン

    死刑執行の日のソクラテスを描きながら、魂の不死を論じる対話篇。身体を魂の牢獄とみなし、哲学を身体からの浄化として描く。

  4. 前4世紀

    著作

    『魂について』

    Περὶ Ψυχῆς / De Anima / アリストテレス

    魂を身体から独立した実体としてではなく、生きた身体をその身体たらしめる形相・現実態として規定する。心身統合論の源流であり、生命・知覚・運動・思考を有機体の能力の階層として論じる。

  5. 前漢期(諸説あり)

    研究・出来事

    『黄帝内経』の編纂

    刊行

    中国医学の原典。「素問」(生理・病理・摂生の理論)と「霊枢」(診断・治療・鍼灸の実践)からなり、陰陽五行を基礎に気と経絡の概念で医学を説く。身体を宇宙と照応する動的なエネルギー系として捉え、「未病」概念もここに現れる。

  6. 129頃–216頃

    人物

    ガレノス

    Galen

    四体液説を体系化し、身体を観察・解剖される自然として medicine の対象にした。

  7. 2世紀

    研究・出来事

    四体液説の体系化

    方法

    ヒポクラテス以来の四体液説(血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁)を、ガレノスが解剖・生理学と統合して体系化した。健康を体液の均衡として説明する自然主義的な枠組みは、以後1500年にわたり西洋医学を支配する。

Era

中世〜ルネサンス

観察される身体

  1. 980–1037

    人物

    イブン・スィーナー

    Avicenna

    ガレノス医学とアリストテレス哲学を統合し、「空中人間」の思考実験で自己意識と身体の関係を問うた。

  2. 1025

    著作

    『医学典範』

    al-Qānūn fī al-Ṭibb / イブン・スィーナー

    ガレノス医学をアリストテレスの自然学の枠組みで体系化した百科全書。ラテン語訳を通じて17世紀まで欧州の医学教育の基本テキストであり続けた。

  3. 1514–1564

    人物

    ヴェサリウス

    Andreas Vesalius

    権威ではなく自分の手で切り開いた身体を信じ、近代解剖学を始めた。

  4. 1543

    著作

    『人体の構造について』

    De humani corporis fabrica libri septem / ヴェサリウス

    直接解剖に基づく観察によって、ガレノスの記述の多数の誤りを訂正した近代解剖学の出発点。精緻な木版図は、身体を「見せること」自体を目的としている。

  5. 1543

    研究・出来事

    『ファブリカ』刊行と近代解剖学の成立

    刊行

    ヴェサリウスが直接解剖に基づきガレノスの記述の誤りを訂正。同年のコペルニクス『天球回転論』と並ぶ科学革命の画期であり、身体が「切り開かれ、見られ、記述される対象」として確立した。

Era

16〜18世紀

機械としての身体と心身問題

  1. 1578–1657

    人物

    ウィリアム・ハーヴェイ

    William Harvey

    心臓と血液を定量的な実験で扱い、身体を機構として理解する道を開いた。

  2. 1596–1650

    人物

    デカルト

    René Descartes

    心と身体を別の実体として切り分け、身体を物理法則で動く機械として説明した。

  3. 1628

    著作

    『心臓の運動について』

    Exercitatio Anatomica de Motu Cordis et Sanguinis in Animalibus / ウィリアム・ハーヴェイ

    血液循環を実験と定量的推論によって立証した。心臓が送り出す血液量の計算から、同じ血液が循環していることを論証する。機械論的生理学の金字塔。

  4. 1628

    研究・出来事

    血液循環の実験的立証

    発見

    ハーヴェイが、心臓の拍出量の計算と静脈弁の実験によって血液循環を立証した。身体の一部が量的関係として記述され検証された、機械論的生理学の金字塔。

  5. 1630–1714

    人物

    貝原益軒

    Kaibara Ekiken

    健康を医者に委ねず、日々の実践として自ら整えるものと考えた。

  6. 1632–1677

    人物

    スピノザ

    Baruch Spinoza

    「身体が何をなしうるか、誰もいまだ規定していない」と書き、身体を能力の側から考えた。

  7. 1641

    著作

    『省察』

    Meditationes de prima philosophia / デカルト

    方法的懐疑を通じて、考える私(res cogitans)と延長を持つもの(res extensa)を峻別する。身体を延長実体=機械とみなす近代の身体観の出発点。

  8. 1649

    著作

    『情念論』

    Les passions de l'âme / デカルト

    情念を、身体に原因を持ちながら魂において経験されるものとして分類・記述する。心身の合一という難所に、デカルト自身が正面から取り組んだ著作。

  9. 1677

    著作

    『エチカ』

    Ethica, ordine geometrico demonstrata / スピノザ

    幾何学的方法で書かれた主著。心身並行論を提示し、身体を「何であるか」ではなく「何をなしうるか」から問う。第三部の情動論は、感情を身体の活動能力の変化として捉える。

  10. 正徳3年(1713)

    著作

    『養生訓』

    養生訓 / 貝原益軒

    益軒84歳の著。中国の養生思想と自身の体験に基づき、精神・肉体両面からの日常的健康法を説く。内欲を節し外邪を防ぐ、主体的な健康維持の書。

Era

19世紀

生きた身体と、感じる身体の科学

  1. 1809–1882

    人物

    ダーウィン

    Charles Darwin

    人間の身体と表情を、自然史の連続性のなかに置いた。

  2. 1842–1910

    人物

    ウィリアム・ジェームズ

    William James

    「悲しいから泣く」のではなく「泣くから悲しい」——感情を身体変化の知覚とみなした。

  3. 1844–1900

    人物

    ニーチェ

    Friedrich Nietzsche

    「身体こそ大いなる理性」——理性の背後に働く身体を哲学の中心に置いた。

  4. 1859–1941

    人物

    ベルクソン

    Henri Bergson

    身体は世界を写す装置ではなく、行為の中心である。

  5. 1865

    研究・出来事

    内部環境(milieu intérieur)の概念

    発見

    クロード・ベルナールが『実験医学序説』で、生体が外界の変動に対して内部環境の恒常性を保つという概念を提示した。後のキャノンのホメオスタシス、さらにアロスタシス概念へと連なる、「均衡としての健康」の系譜の結節点。

  6. 1872

    著作

    『人及び動物の表情について』

    The Expression of the Emotions in Man and Animals / ダーウィン

    情動の身体的表出に進化的な基盤があることを論じた。感情を、内面の私秘的な状態ではなく、身体に現れる観察可能な現象として扱う道を開いた。

  7. 1870–80年代

    研究・出来事

    クロノフォトグラフィーによる運動の可視化

    方法

    マレー(É.-J. Marey)とマイブリッジ(E. Muybridge)が連続写真によって歩行・走行・跳躍を分解し、肉眼では捉えられない運動を可視化した。バイオメカニクスの起源であり、ベルンシュタインの運動分析の技術的前提でもある。

  8. 1884

    著作

    『情動とは何か』

    What is an Emotion? / ウィリアム・ジェームズ

    「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しい」という情動の末梢起源説を提示した論文。感情を身体変化の知覚として捉え直す。

  9. 1883–1885

    著作

    『ツァラトゥストラはこう語った』

    Also sprach Zarathustra / ニーチェ

    「身体の軽蔑者たちについて」の章で、意識的な「小さな理性」の背後に「大いなる理性」としての身体があると述べ、精神を身体から切り離す哲学の伝統を転倒させる。

  10. 1890

    著作

    『心理学原理』

    The Principles of Psychology / ウィリアム・ジェームズ

    意識の流れ、習慣、自己、情動を論じた大著。第4章「習慣」は、身体が繰り返しによって組織化され意識なしに働くようになる過程を扱い、後の身体図式論と響き合う。

  11. 1896

    著作

    『物質と記憶』

    Matière et mémoire / ベルクソン

    知覚を世界の複製ではなく、身体の行為可能性に応じた世界の選択として捉える。身体は表象装置ではなく「行為の中心」であるとする。

Era

20世紀前半

身体図式と現象学

  1. 1857–1952

    人物

    シェリントン

    Charles Sherrington

    身体が自分自身の位置と運動を感じていることを、固有受容感覚として概念化した。

  2. 1859–1938

    人物

    フッサール

    Edmund Husserl

    物としての身体(Körper)と、生きられる身体(Leib)を区別した。

  3. 1859–1952

    人物

    デューイ

    John Dewey

    刺激と反応を別々の出来事に切り分ける見方を批判し、有機体と環境の連続的な相互作用を単位にした。

  4. ヘッド 1861–1940 / ホームズ 1876–1965

    人物

    ヘッド/ホームズ

    Henry Head & Gordon Holmes

    脳損傷例から、姿勢と運動を支える可塑的な身体図式という考えを取り出した。

  5. 1886–1940

    人物

    シルダー

    Paul Schilder

    身体の像を、神経学・心理学・社会的関係の交点として描いた。

  6. 1889–1976

    人物

    ハイデガー

    Martin Heidegger

    人間を世界の外から眺める観察者ではなく、最初から世界の中で手を動かしている存在として描いた。

  7. 1896–1966

    人物

    ベルンシュタイン

    Nikolai Bernstein

    膨大な自由度を持つ身体が、なぜ滑らかに動けるのかを問うた。

  8. 1896

    著作

    『心理学における反射弧概念』

    The Reflex Arc Concept in Psychology / デューイ

    刺激と反応を別々の出来事として扱う反射弧モデルを批判し、有機体と環境の連続的な相互作用を心理学の単位とすべきだと論じた短い論文。

  9. 1906

    著作

    『神経系の統合作用』

    The Integrative Action of the Nervous System / シェリントン

    感覚受容器を外受容・内受容・固有受容に分類し、proprioception の概念を確立した。同時に、反射が独立ではなく相互に抑制し合う統合系として働くことを示す。

  10. 1908–1961

    人物

    メルロ=ポンティ

    Maurice Merleau-Ponty

    身体は精神に操作される機械ではなく、それ自体が世界へ向かう主体である。

  11. 1911

    研究・出来事

    身体図式(postural schema)の提唱

    発見

    ヘッドとホームズが、大脳皮質損傷例の感覚障害の分析から、姿勢と運動を可能にする可塑的な身体図式という概念を導入した。帽子の羽根飾りや杖がこの図式に組み込まれうるという指摘は、道具の身体化をめぐる議論の起点となる。

  12. 1925

    著作

    『経験と自然』

    Experience and Nature / デューイ

    経験を、主観の内部で起こる何かではなく、有機体と環境の交渉として捉え直した主著。身体は経験の場所ではなく、経験が起こる関係の一方の項である。

  13. 1927

    著作

    『存在と時間』

    Sein und Zeit / ハイデガー

    人間を世界から切り離された観察主体ではなく「世界内存在」として捉える。道具の分析(手許存在)は、身体と道具をめぐる現代の議論に繰り返し引用されている。

  14. 1934

    研究・出来事

    「身体技法」概念の提唱

    刊行

    マルセル・モースが、歩き方・泳ぎ方・しゃがみ方といった身体の使い方が社会ごとに学習される技法であることを論じた(1934年5月17日講演、1935/36年発表)。ブルデューのハビトゥス、フーコーの規律訓練の先駆。

  15. 1945

    著作

    『知覚の現象学』

    Phénoménologie de la perception / メルロ=ポンティ

    身体を対象としても機械としても捉えない第三の道を示した、現象学的身体論の頂点。身体図式と運動志向性を中心に、身体がすでに世界へ向かっている在り方を記述する。

  16. 草稿1912頃/刊行1952

    著作

    『イデーンII』

    Ideen zu einer reinen Phänomenologie und phänomenologischen Philosophie, Zweites Buch / フッサール

    物体としての身体(Körper)と生きられた身体(Leib)を区別し、身体現象学の礎を築いた。二重感覚とキネステーゼの分析を含む。

  17. 1964

    著作

    『見えるものと見えないもの』

    Le visible et l'invisible / メルロ=ポンティ

    未完のまま遺された後期の主著。身体と世界を分けたうえで関係づけるのではなく、両者が同じ「肉(chair)」でできているとする存在論へ向かう。

  18. 英訳1967/原研究1920–40年代

    著作

    『運動の協応と調節』

    The Co-ordination and Regulation of Movements / ベルンシュタイン

    自由度問題を定式化し、運動制御・運動学習研究の基本問題を作った。協応構造(シナジー)と、学習の三段階(自由度の凍結→解放→活用)を提示する。

Era

20世紀後半

環境・社会・行為のなかの身体

  1. 1904–1979

    人物

    ギブソン

    James J. Gibson

    環境は「座れる」「登れる」といった行為の可能性として、直接に知覚される。

  2. 1925–2005

    人物

    湯浅泰雄

    Yuasa Yasuo

    心身の統一を、前提ではなく修行によって達成される状態として捉え直した。

  3. 1926–1984

    人物

    フーコー

    Michel Foucault

    身体は権力が刻み込み、訓練し、従順にする対象であり、その効果でもある。

  4. 1931–2002

    人物

    市川浩

    Ichikawa Hiroshi

    身体を主体でも客体でもなく、両者が絡み合う「錯綜体」として捉えた。

  5. 1944–

    人物

    ダマシオ

    Antonio Damasio

    情動の身体的な印が、意思決定を導いていると論じた。

  6. 1946–2001

    人物

    ヴァレラ

    Francisco Varela

    認知を世界の内的な写しづくりではなく、生きた身体が環境と関わりながら世界を立ち上げる活動とみなした。

  7. 1975

    著作

    『監獄の誕生』

    Surveiller et punir / フーコー

    刑罰の歴史を通じて、権力が身体を破壊する形式から、身体を訓練し利用可能にする形式へ移行したことを描く。規律訓練によって作られる「従順な身体」の分析。

  8. 1975

    著作

    『精神としての身体』

    精神としての身体 / 市川浩

    身体を主体/客体のいずれかに還元せず、両者が折り重なる「錯綜体」として記述した。日本語圏における独自の身体論の出発点。

  9. 1977

    著作

    『身体——東洋的心身論の試み』

    The Body: Toward an Eastern Mind-Body Theory / 湯浅泰雄

    デカルト以来の心身問題を、東洋の「心身一如」と修行論の照明のもとで捉え直す。心身の統一を事実ではなく、修行を通じて到達される状態として位置づけた。

  10. 1979

    著作

    『生態学的視覚論』

    The Ecological Approach to Visual Perception / ギブソン

    知覚を「感覚入力→内部表象→行為」の処理過程としてではなく、動物と環境の系のなかで環境の情報を直接ピックアップする活動として捉える。アフォーダンス概念の主著。

  11. 1991

    著作

    『身体化された心』

    The Embodied Mind / ヴァレラ

    エナクティヴィズムを提唱した書。認知を世界の内部表象の構築としてではなく、身体を持った生物が環境と相互作用することで世界を意味あるものとして成立させる活動として捉える。仏教思想を正面から取り入れた点も特徴。

  12. 1994

    著作

    『デカルトの誤り』

    Descartes' Error / ダマシオ

    情動の身体的標識が意思決定を導いているとするソマティック・マーカー仮説を提示した。理性と情動を対立させる図式への反論として広く読まれたが、仮説自体は実証的には論争中である。

Era

現代

内側から感じ、予測する身体

  1. レイコフ 1941– / ジョンソン 1949–

    人物

    レイコフ/ジョンソン

    George Lakoff & Mark Johnson

    抽象的な思考は、身体経験に由来する比喩の体系によって組み立てられていると論じた。

  2. 1957–

    人物

    アンディ・クラーク

    Andy Clark

    認知の境界は頭蓋骨や皮膚で終わるのか、と問うた。

  3. 1959–

    人物

    カール・フリストン

    Karl Friston

    知覚も行為も、自らの状態についての予測誤差を最小化する一つの過程として説明しようとした。

  4. 1963–

    人物

    リサ・フェルドマン・バレット

    Lisa Feldman Barrett

    情動には普遍的な指紋がなく、内受容感覚と概念から脳がその都度つくり出していると論じた。

  5. 1992

    研究・出来事

    ミラーニューロンの報告とその後の論争

    論争

    マカクザルの腹側運動前野F5で、自ら行為するときと他個体の行為を見るときの双方で発火するニューロンが報告された(1992、命名は1996)。行為理解・共感・言語進化の基盤と喧伝されたが、その機能的意義については強い批判があり論争中である。

  6. 1998

    著作

    『拡張された心』

    The Extended Mind / アンディ・クラーク

    認知の境界は頭蓋骨や皮膚で終わるのか、と問うた論文。ノートや道具が、内部資源と同じ機能的役割を果たすなら認知プロセスの一部ではないかと論じる。

  7. 1998

    研究・出来事

    ラバーハンド錯覚

    実験

    ボトヴィニックとコーエンが、見えているゴムの手と、隠された自分の手を同期して撫でると、ゴムの手を自分の身体の一部のように感じることを示した。身体所有感を実験的に操作できることを示し、多感覚統合と身体的自己の研究を切り開いた。

  8. 1999

    著作

    『肉中の哲学』

    Philosophy in the Flesh / レイコフ/ジョンソン

    概念体系が身体的経験に基づく比喩によって構造化されているとする主張。「議論は戦争だ」「未来は前方にある」といった比喩体系が抽象的思考を組織する。

  9. 2002

    研究・出来事

    前部島皮質と内受容感覚

    発見

    A. D.(バッド)クレイグが、身体の生理的状態を伝える上行経路が脊髄視床路を経て島皮質に至ることを整理し、前部島皮質を身体状態の統合と主観的感情の座として位置づけた。内受容感覚研究が身体論の中心へ移動する契機。

  10. 2015–2016

    研究・出来事

    身体化認知プライミング研究の再現性危機

    論争

    パワーポーズ、顔面フィードバックなど、身体姿勢や動作が判断や生理を変えるとされた著名な研究が、大規模な追試で再現されなかった。身体化認知の広い主張と、個別の実験的主張を区別する必要を突きつけた出来事。