身体について何を考えたか

ダマシオの議論の出発点は臨床例である。前頭前野腹内側部を損傷した患者は、知能検査でも記憶検査でも正常な成績を示す。倫理的な問題について理路整然と論じることもできる。しかし現実の生活では、破滅的な意思決定を繰り返す。

ダマシオの解釈はこうである。彼らが失っているのは推論能力ではなく、選択肢に対して身体が反応することである。ある選択肢を思い浮かべたとき、健常者では微弱な身体反応(皮膚電位の変化など)が生じ、それが選択肢を素早く絞り込む。この身体的な印を彼はソマティック・マーカーと呼んだ。

『デカルトの誤り』の主張は、理性と情動が対立するという図式が誤りだ、ということである。情動は合理性を曇らせるノイズではなく、合理的判断を可能にする条件である。

彼はさらに、情動(emotion:身体の状態変化)と感情(feeling:その変化が脳にマップされ意識される過程)を区別し、身体状態のマッピングから自己意識が立ち上がる階層モデルを構想した。

なぜ重要なのか

「身体なしに合理性はない」という主張は、認知科学における身体化の議論に強い後押しを与えた。またウィリアム・ジェームズの末梢起源説を、神経解剖学の言葉で復活させた点でも重要である。

論争の現状

ただし、ソマティック・マーカー仮説そのものは確立した知見ではない

ダン、ダルグリッシュ、ローレンスによる批判的検討(2006)は、この仮説の主要な実証的根拠であるアイオワ・ギャンブリング課題について、成績不良が身体的標識の欠損なしにも生じうること、皮膚電位反応と選択の関係が主張されるほど明確でないことなどを指摘した。統計手法上の問題(反復測定データの集約による生態学的誤謬)への批判もある。

したがってこのサイトでは、ソマティック・マーカー仮説を「論争中」として扱う。エレガントで影響力のある理論だが、実証的支持は限定的である。身体と情動の関係についてより堅実な足場を求めるなら、内受容感覚の神経基盤研究(クレイグ、クリッチリー)を参照するほうがよい。