身体について何を考えたか
『養生訓』は益軒84歳の著である(翌年没)。そこで説かれる養生は、病になってから治す医療ではなく、病にならないように日々を整える実践である。
その骨格は単純だ。身体を損なうものは、内から来る内欲(飲食・色欲・睡眠・言語・七情)と、外から来る外邪(風・寒・暑・湿)に大別される。養生とは、内欲を節し、外邪を防ぐことである。具体的には、腹八分に食べ、食後に歩き、怒りを長引かせず、寒暖に応じて衣を調節する。
注目すべきは、これが身体の話であると同時に、心の話でもあることだ。「心は身の主」であり、怒り・憂い・思いすぎは気を損なう。心の平静を保つことが、そのまま身体の養生になる。ここには心と身体を切り分ける発想がない。
なぜ重要なのか
西洋近代の医学が、身体を対象化し、専門家が介入する場としてきたのに対し、養生の伝統では、身体は当人が日々営むものである。健康は与えられる状態ではなく、実践の帰結として現れる。
このサイトが東洋・日本の身体論を西洋の付録としてではなく対等な系譜として扱うのは、こうした違いが、身体をめぐる別の可能性を示しているからである。心身二元論を前提としないところから出発する思想は、20世紀末に西洋が苦労して到達した「再接続」を、別の仕方で先取りしていたとも言える。
現代との接続
養生の枠組みは、現代のセルフケア、生活習慣病予防、ヘルスプロモーションと重なる部分が大きい。ただし養生思想には、数値目標も集団統計もない。あるのは、自分の身体の状態に気づき続けるという実践である。この点で、現代の内受容感覚(interoception)研究や、身体感覚への注意を扱う介入研究との対話の余地がある。
なお『養生訓』の巻数は一般に全8巻とされるが、一部の辞典類に四巻とする少数説もある。