2500年の身体論
身体についての考え方は、この順で変わってきた——ただしこれは「進歩の物語」ではない。
- 01魂と身体
- 02生きた有機体
- 03解剖される身体
- 04機械としての身体
- 05精神と身体の分離
- 06生命・力としての身体
- 07感じる身体
- 08世界を経験する身体
- 09環境の中で行為する身体
- 10自己を感じる身体
- 11道具・環境へ拡張する身体
- 12自己を維持し予測する身体
古代に比較的一体として考えられていた生命・身体・心・環境が、近代科学によって一度分解され、 その後の哲学・生理学・心理学・神経科学によって再び関係づけられてきた—— これがこのサイト全体を貫く一つの仮説であり、確定した史観ではない。
時代でみる
それぞれの時代で、身体はどんな対象として扱われたのか。
古代
魂・生命・身体
プラトン、アリストテレス、ガレノス
中世〜ルネサンス
観察される身体
イブン・スィーナー、ヴェサリウス
16〜18世紀
機械としての身体と心身問題
ウィリアム・ハーヴェイ、デカルト、貝原益軒、スピノザ
19世紀
生きた身体と、感じる身体の科学
ダーウィン、ウィリアム・ジェームズ、ニーチェ、ベルクソン
20世紀前半
身体図式と現象学
シェリントン、デューイ、フッサール、ヘッド/ホームズ、シルダー、ハイデガー ほか
20世紀後半
環境・社会・行為のなかの身体
ギブソン、湯浅泰雄、フーコー、市川浩、ダマシオ、ヴァレラ
現代
内側から感じ、予測する身体
レイコフ/ジョンソン、アンディ・クラーク、カール・フリストン、リサ・フェルドマン・バレット
まず知りたい人物
一人につき一つのメッセージ。詳しくは各ページへ。
プラトン
Plato
身体を魂の牢獄とみなし、認識を身体からの浄化と考えた。
アリストテレス
Aristotle
魂を身体に宿るものではなく、生きた身体をその身体たらしめる形相と考えた。
デカルト
René Descartes
心と身体を別の実体として切り分け、身体を物理法則で動く機械として説明した。
スピノザ
Baruch Spinoza
「身体が何をなしうるか、誰もいまだ規定していない」と書き、身体を能力の側から考えた。
ダーウィン
Charles Darwin
人間の身体と表情を、自然史の連続性のなかに置いた。
ウィリアム・ジェームズ
William James
「悲しいから泣く」のではなく「泣くから悲しい」——感情を身体変化の知覚とみなした。
シェリントン
Charles Sherrington
身体が自分自身の位置と運動を感じていることを、固有受容感覚として概念化した。
ベルクソン
Henri Bergson
身体は世界を写す装置ではなく、行為の中心である。
フッサール
Edmund Husserl
物としての身体(Körper)と、生きられる身体(Leib)を区別した。
ヘッド/ホームズ
Henry Head & Gordon Holmes
脳損傷例から、姿勢と運動を支える可塑的な身体図式という考えを取り出した。
ベルンシュタイン
Nikolai Bernstein
膨大な自由度を持つ身体が、なぜ滑らかに動けるのかを問うた。
ギブソン
James J. Gibson
環境は「座れる」「登れる」といった行為の可能性として、直接に知覚される。
メルロ=ポンティ
Maurice Merleau-Ponty
身体は精神に操作される機械ではなく、それ自体が世界へ向かう主体である。
湯浅泰雄
Yuasa Yasuo
心身の統一を、前提ではなく修行によって達成される状態として捉え直した。
フーコー
Michel Foucault
身体は権力が刻み込み、訓練し、従順にする対象であり、その効果でもある。
ダマシオ
Antonio Damasio
情動の身体的な印が、意思決定を導いていると論じた。
ヴァレラ
Francisco Varela
認知を世界の内的な写しづくりではなく、生きた身体が環境と関わりながら世界を立ち上げる活動とみなした。
アンディ・クラーク
Andy Clark
認知の境界は頭蓋骨や皮膚で終わるのか、と問うた。
カール・フリストン
Karl Friston
知覚も行為も、自らの状態についての予測誤差を最小化する一つの過程として説明しようとした。
リサ・フェルドマン・バレット
Lisa Feldman Barrett
情動には普遍的な指紋がなく、内受容感覚と概念から脳がその都度つくり出していると論じた。
主要な思想系譜
矢印のラベルは関係の種類を示す。ラベルのない矢印は直接影響。
生きた有機体
魂を生きた身体の形相とみなすアリストテレスから、有機体と環境を単位とする現代の枠組みまで。生命と認知を切り離さない系譜。
- ダーウィン直接の継承ではなく、生命の連続性という主題を自然史の側から立て直した。
感情と身体
身体の能力の変化としてのアフェクトから、内受容感覚と予測処理まで。感情を身体の側から捉える400年の系譜。
- スピノザ
- →アフェクト/情動
- →応答・継承ニーチェ
- →概念的並行ウィリアム・ジェームズ
- →ダマシオ
- →内受容感覚
- →批判リサ・フェルドマン・バレット
- →能動的推論
- ウィリアム・ジェームズジェームズがスピノザを直接引き継いだわけではない。身体から感情を捉えるという問題設定が重なる。
生きられた身体
物としての身体と生きられる身体の区別から、身体化された認知へ。現象学が身体をどう記述してきたか。
概念から探す
一つの概念から、それを共有する人物・著作・実験へ辿れる。
質料形相論
Hylomorphism
あらゆる自然物を質料(素材)と形相(それを何であるかたらしめるもの)の複合とみなす枠組み。生き物においては身体が質料であり、魂が形相である。心身問題が「二実体の関係」になる前の、もう一つの選択肢。
心身一如
Mind-Body Oneness
心と身体を二つの独立した存在としては立てない東洋の思想的枠組み。しかもその統一は前提ではなく、修行や養生の実践を通じて到達される状態として捉えられる。
心身二元論
Mind-Body Dualism
心と身体を、互いに独立した別種の存在とみなす立場。身体は物理法則で説明され、心はその外側に置かれる。近代以降の身体論のほとんどは、この分割への応答として書かれている。
アフェクト/情動
Affect
身体の活動能力が、他のものとの出会いによって増減する変化そのもの。感情を心の内的状態としてではなく、身体と環境の関係の変化として捉える語彙。
生きられた身体
Lived Body
物体としての身体(Körper)に対し、そこから世界が現れてくる「ここ」としての身体。観察される対象ではなく、あらゆる知覚の出発点であり、世界へ向かう構えそのものである。
エナクティヴィズム
Enactivism
認知を、あらかじめ与えられた世界を内部に写し取ることではなく、身体を持つ生物が環境と関わる歴史のなかで世界と自己が同時に立ち上がる過程として捉える立場。
拡張された心
The Extended Mind
認知の境界は頭蓋骨や皮膚で終わるのか、という問い。ノート・道具・環境の目印が、内部の資源と同じ機能的役割を果たすなら、それらも認知プロセスの一部ではないかとする主張。
現代科学との接続
哲学の問いが、いま実験室でどう扱われているか。 ただし「確立した知見」と「まだ論争中の主張」は分けて表示している。
固有受容感覚
Proprioception
筋・腱・関節などに分布する受容器を通じて、身体自身の位置・運動・張力を感じ取る感覚。目を閉じていても自分の手がどこにあるかを知っているのは、この感覚のはたらきである。
身体図式
Body Schema
姿勢と運動を可能にする、意識を伴わずに働く身体の作動モデル。私たちが自分の手の位置を毎回計算せずに済むのは、この図式が絶えず更新されているからである。道具を組み込むほどに可塑的でもある。
身体イメージ
Body Image
自分の身体についての知覚・態度・信念の系。どう見えるか、どう感じられるか、どう評価されるか。神経学的に働く身体図式とは水準が異なり、社会的関係のなかで形づくられる。
自由度問題
Degrees of Freedom Problem
身体には無数の関節・筋・運動単位があり、同じ課題を達成する方法は無限にある。それにもかかわらず滑らかに動けるのはなぜか。運動制御研究の基本問題。
アフォーダンス
Affordance
環境が動物に対して提供する行為の可能性。座れる、登れる、掴める、通れる。それは環境の性質でも身体の性質でもなく、両者の関係として成立する。
身体化
Embodiment
心のはたらきが、脳だけでなく身体の構造と、身体が環境と関わる仕方に依存しているという主張。広い主張と、個別の実験的主張を区別することが決定的に重要な領域。
ソマティック・マーカー仮説
Somatic Marker Hypothesis
選択肢を思い浮かべたときに生じる微弱な身体反応が、意思決定を素早く絞り込んでいるとする仮説。理性と情動を対立させる図式への反論として広く知られるが、実証的支持は限定的で論争中である。
内受容感覚
Interoception
心拍・呼吸・消化管・体温・代謝など、身体内部の状態を感じ取るはたらき。感情、動機づけ、意思決定、そして自己の感覚がここから立ち上がるとされ、現代の身体論の中心になっている。
能動的推論
Active Inference
知覚と行為を、予測誤差を最小化する一つの過程の二つの向きとして扱う枠組み。予測を現実に合わせるのが知覚、現実を予測に合わせるのが行為である。壮大な統一理論だが、検証可能性をめぐって論争中。