身体について何を考えたか

市川浩の出発点は、メルロ=ポンティの身体論である。しかし彼はそこに留まらず、日本語の語彙から独自の記述を組み立てた。

『精神としての身体』の中心概念が錯綜体(corps complexe)である。ポール・ヴァレリーに由来するこの語で、市川は身体が単一の統一体ではないことを示す。身体は、見る身体でありながら見られる身体であり、動かす身体でありながら動かされる身体である。これらの層は、統一されもせず、ばらばらにもならず、絡み合っている。

後年の『〈身〉の構造』では、日本語の「身」という語に注目する。「身を入れる」「身に染みる」「身を引く」——これらの表現において、「身」は肉体を指すと同時に、自己そのものを指している。西洋語における body / mind の分割が、日本語ではそもそも同じようには働かない。市川はここに、心身二元論を前提としない記述の可能性を見た。

なぜ重要なのか

日本語圏における身体論は、しばしば西洋思想の紹介として扱われてきた。市川の仕事は、そうではない。日本語の語彙と経験から出発し、現象学と対話しながら、独自の概念を作っている。

このサイトが東洋・日本の身体論を対等な系譜として扱うのは、こうした仕事の存在ゆえである。

現代との接続

「身」を軸とする記述は、日本語で身体を語る臨床や実践——リハビリテーション、身体教育、演劇や武道の身体論——の語彙に流れ込んでいる。ただし、これらの概念を実証研究の変数へ翻訳する試みは、まだ十分に行われていない。