身体について何を考えたか
アリストテレスの質料形相論(hylomorphism)において、あらゆる自然物は質料(素材)と形相(それを何であるかたらしめるもの)の複合体である。生き物においては、身体が質料であり、魂が形相である。
したがって「魂は身体のどこにあるか」という問いは、彼にとっては筋の悪い問いになる。蝋と、蝋に刻まれた形が同一かどうかを問う必要がないのと同じである。魂と身体は、二つの物ではなく、一つの生きた存在の二つの側面として記述される。
『魂について』は魂を、生命を可能性として持つ自然的有機体の第一現実態(エンテレケイア)と定義する。「第一」現実態というのは、たとえば知識を持っていることが、いま現に考えていることとは別の水準の現実性であるのに似ている。眠っている人も魂を持っている。
魂は階層をなす。栄養摂取と生殖の能力(植物)、感覚と運動の能力(動物)、思考の能力(人間)。それぞれは上位が下位を含み込む。つまり人間の思考も、生きて栄養を摂り、感じ、動く身体の能力の延長線上にある。
なぜ重要なのか
この構図は、心身問題が「二つの実体をどう関係づけるか」という形をとる前の、もう一つの選択肢を示している。心は身体に対して外から関係するのではなく、身体が生きて働いていることそのものの秩序である。
トマス・アクィナスはこの枠組みを受け継ぎ、身体を軽視しない統合的人間観を神学的に基礎づけた。近代がこの枠組みを捨てたところに、デカルト以降の心身問題が生まれる。
現代との接続
20世紀後半以降、アリストテレスの有機体論は繰り返し呼び出されてきた。生命と認知を連続したものとみなすエナクティヴィズム、生きた有機体と環境の系を単位とする生態心理学、そして生物学の哲学における目的論の再評価。
ただし注意が必要なのは、これらが必ずしもアリストテレスの直接的影響下にあるわけではないという点である。多くの場合、それは似た問題設定への回帰であって、系譜的な継承ではない。