身体について何を考えたか

スピノザは、デカルトのように心と身体を別々の実体とは考えない。存在するのは唯一の実体(神=自然)であり、思考と延長はその属性である。ある一つの出来事は、思考の属性の下では観念として、延長の属性の下では身体の変様として記述される。だから心と身体のあいだに因果的な相互作用はない。あるのは、同じことの二通りの記述である。

この立場から、彼は身体についての問いを転換する。身体とは何でできているかではなく、身体は何をなしうるか。『エチカ』第三部定理二の備考には、この転換を象徴する一文がある——身体が何をなしうるかを、誰もいまだ規定していない。

そして、他の物体との出会いによって身体の活動能力(agendi potentia)が増大するとき、それは喜びとして、減少するとき悲しみとして経験される。アフェクト(affectus)とは、身体の能力の変化そのものである。

なぜ重要なのか

ここには、感情を「心の内的状態」としてではなく、身体と環境の関係の変化として捉える枠組みがある。感情は身体の外で起きているのでも、身体の中に閉じているのでもない。関係のなかにある。

またコナトゥス(conatus)——各々の物が自己の存在に固執しようとする努力——という概念は、生命を自己維持の過程として捉える点で、20世紀のオートポイエーシス論と構造的に響き合う。

現代との接続

20世紀後半、ドゥルーズがスピノザを読み直したことで、アフェクト理論という現代思想の潮流が生まれた。他方でアントニオ・ダマシオは『スピノザを探して』で、身体状態のマッピングとしての感情という自らの神経科学的仮説の先駆をスピノザに見た。

ただし、こうした読み直しは再解釈であって、スピノザが神経科学を予告していたわけではない。このサイトでは両者の関係をそのように記録している。