身体について何を考えたか

ヴァレラの出発点は生物学である。マトゥラーナとともに彼が定式化したオートポイエーシスとは、自らの構成要素を自ら産出し続けることで、自己の境界を維持するシステムのことである。細胞はその典型で、代謝が膜を作り、膜が代謝を可能にする循環をなしている。

ここから、認知についての別の見方が導かれる。生物にとって環境は、中立的な情報源ではない。自己維持という関心から見られた環境である。何が食物で、何が危険で、何がどうでもよいか——それは生物の組織そのものによって決まる。これが意味生成(sense-making)である。

『身体化された心』(1991、トンプソン、ロッシュとの共著)は、この生物学的洞察を認知科学に接続した。認知とは、あらかじめ与えられた世界を内部に写し取ることではない。身体を持つ生物が環境と関わる歴史のなかで、世界と自己が同時に立ち上がる過程である。これを彼らは enaction(行為による産出)と呼んだ。

同書のもう一つの特徴は、仏教思想——特に中観と唯識——を正面から取り入れている点である。固定した自己という前提を手放すこと、経験を注意深く観察する訓練を認知科学の方法に組み込むこと。ここから彼は後年、ニューロフェノメノロジーを提唱する。一人称の訓練された記述と、三人称の神経計測を、互いに制約し合う形で結びつけるという方法論である。

なぜ重要なのか

エナクティヴィズムは、身体化認知のなかで最も体系的な理論的枠組みの一つである。生命と認知の連続性を主張することで、認知科学の対象を脳から生きた有機体全体へ広げた。

このサイトが辿る三つの系譜において、ヴァレラは現象学(主体)と生物学・神経科学(対象)を統合しようとする、最も野心的な試みを代表している。

現代との接続

エナクティヴィズムは現在も活発に展開しており、エヴァン・トンプソン『Mind in Life』(2007)、ディ・パオロらの参加的意味生成(participatory sense-making)などがある。

近年は、フリストンの能動的推論との接続が盛んに論じられている。自己維持する系がその境界を保つという発想は、自由エネルギー最小化と形式的に対応づけられるという主張である。ただし、この対応が実質的な統合なのか、それとも異なる問題を同じ数式で書いているだけなのかは、論争中である。