歴史
魂と身体を価値的に序列化する発想は、プラトンにまで遡る。しかし「二つの実体」という厳密な形をとったのは、デカルト『省察』(1641)においてである。考えるもの(res cogitans)は延長を持たず、延長を持つもの(res extensa)は考えない。両者は本質を異にする。
この定式化には強みがあった。身体を延長実体として扱えば、身体は物理学の対象になる。実際、17世紀以降の生理学と医学はこの前提の上に築かれた。
何が問題になったか
弱点は相互作用の説明である。延長を持たないものが、どうやって延長を持つものを動かすのか。デカルトは松果体をその接点としたが、これは問題の場所を特定しただけで、解決にはなっていない。
この難点への応答が、その後の哲学の主要な分岐を作った。スピノザの並行論(相互作用など初めからない)、ライプニッツの予定調和、そして20世紀の物理主義や機能主義。いずれもデカルトの問題設定を引き受けたうえでの回答である。
現代における位置
心の哲学において、実体二元論を支持する研究者はごく少数である。しかし二元論は、はるかに巧妙な形で残り続けている。脳を心の座とみなし、身体をその入出力装置として扱うとき、そこには「脳=心/身体=機械」という新しい二元論がある。身体化認知の批判の多くは、この残存に向けられている。
注意点
「デカルトの誤り」を批判する現代の議論の多くは、デカルト自身のテキストではなく、後世に単純化された「デカルト主義」を相手にしている。デカルト自身は『省察』第六で、心と身体が「きわめて緊密に結合し、いわば混ざり合っている」と書いている。批判するにせよ継承するにせよ、まず原典に当たる価値がある。