二つの見取り図
古典的なモデルは直線である。世界があり、感覚器が刺激を受け、脳が内部表象を構築し、それに基づいて行為が選ばれる。
これに対して、もう一つの系譜が繰り返し立ち上がってきた。ベルクソンは知覚を「引き算」だと言った。身体が働きかけうる部分だけが切り取られる。デューイは刺激と反応の切り分けそのものを疑った。ギブソンは、知覚されるのは行為の可能性だと論じた。ヴァレラは、世界は認知とともに立ち上がると主張した。
いま争点はどこにあるのか
現代の予測処理理論は、ある意味で両者を統合しようとする。知覚は入力の受動的処理ではなく、予測とその誤差の調整である。しかし予測モデルという内部構造を必要とする点で、ギブソンの「直接知覚」とは相容れない面がある。
この緊張は解消されていない。表象を必要とするのか、しないのか——それが現在も続く争点である。