一言でいうと
世界は認知の前にあるのではなく、認知とともに立ち上がる。
歴史
『身体化された心』(1991)で、ヴァレラ、トンプソン、ロッシュが提唱した。enaction とは「行為によって産出する」という意味である。
彼らが批判したのは、認知科学の標準的な前提だった。すなわち、外にあらかじめ世界があり、生物はその表象を内部に構築し、その表象に基づいて行為する、という図式である。
エナクティヴィズムの主張はこうである。生物は自己維持という関心を持つ。その関心に照らして環境の特徴が意味を持つ。したがって「世界」とは、生物の身体と歴史に相対的に立ち上がるものである。表象を組み立てる必要はない。
同書のもう一つの特徴は、仏教思想(中観と唯識)を正面から扱っている点である。固定した自己という前提を手放すこと、経験を注意深く観察する訓練を方法に組み込むこと——これはヴァレラのニューロフェノメノロジー構想につながる。
主要な変種
- オートポイエーシス系(ヴァレラ、トンプソン、ディ・パオロ):生命と認知の連続性を基礎に置く。
- 感覚運動系(オレガンとノエ):知覚は感覚運動的な随伴性についての実践的知識に依存すると論じる。ノエ『Action in Perception』(2004)が代表。
- 急進的エナクティヴィズム(ヒュートとマイイン):基礎的な認知に表象は一切不要だと主張する。
ギブソンとの関係
生態心理学と共通点は多い。表象主義批判、行為と知覚の循環、有機体-環境の系を単位とすること。
しかし相違もある。ギブソンは情報が環境の光学的配列にすでにあるとし、それを直接ピックアップすると考える。エナクティヴィストの多くは、意味は環境にあらかじめあるのではなく、生物の活動によって生成されるとする。この違いは現在も論争の的である。
実証との関係
エナクティヴィズムは包括的な理論的枠組みであり、単一の実験で検証されるものではない。個別の予測——感覚運動随伴性の学習が知覚を変えるか、感覚代行デバイスで新しい知覚様態が成立するか——については実験的な検討が進んでいる。