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身体について問いを立てた31人。生年順に並んでいる。時代・分野・テーマで絞り込み、名前やキーワードで検索できる。
プラトン
Plato
身体を魂の牢獄とみなし、認識を身体からの浄化と考えた。
アリストテレス
Aristotle
魂を身体に宿るものではなく、生きた身体をその身体たらしめる形相と考えた。
ガレノス
Galen
四体液説を体系化し、身体を観察・解剖される自然として medicine の対象にした。
イブン・スィーナー
Avicenna
ガレノス医学とアリストテレス哲学を統合し、「空中人間」の思考実験で自己意識と身体の関係を問うた。
ヴェサリウス
Andreas Vesalius
権威ではなく自分の手で切り開いた身体を信じ、近代解剖学を始めた。
ウィリアム・ハーヴェイ
William Harvey
心臓と血液を定量的な実験で扱い、身体を機構として理解する道を開いた。
デカルト
René Descartes
心と身体を別の実体として切り分け、身体を物理法則で動く機械として説明した。
貝原益軒
Kaibara Ekiken
健康を医者に委ねず、日々の実践として自ら整えるものと考えた。
スピノザ
Baruch Spinoza
「身体が何をなしうるか、誰もいまだ規定していない」と書き、身体を能力の側から考えた。
ダーウィン
Charles Darwin
人間の身体と表情を、自然史の連続性のなかに置いた。
ウィリアム・ジェームズ
William James
「悲しいから泣く」のではなく「泣くから悲しい」——感情を身体変化の知覚とみなした。
ニーチェ
Friedrich Nietzsche
「身体こそ大いなる理性」——理性の背後に働く身体を哲学の中心に置いた。
シェリントン
Charles Sherrington
身体が自分自身の位置と運動を感じていることを、固有受容感覚として概念化した。
ベルクソン
Henri Bergson
身体は世界を写す装置ではなく、行為の中心である。
デューイ
John Dewey
刺激と反応を別々の出来事に切り分ける見方を批判し、有機体と環境の連続的な相互作用を単位にした。
フッサール
Edmund Husserl
物としての身体(Körper)と、生きられる身体(Leib)を区別した。
ヘッド/ホームズ
Henry Head & Gordon Holmes
脳損傷例から、姿勢と運動を支える可塑的な身体図式という考えを取り出した。
シルダー
Paul Schilder
身体の像を、神経学・心理学・社会的関係の交点として描いた。
ハイデガー
Martin Heidegger
人間を世界の外から眺める観察者ではなく、最初から世界の中で手を動かしている存在として描いた。
ベルンシュタイン
Nikolai Bernstein
膨大な自由度を持つ身体が、なぜ滑らかに動けるのかを問うた。
ギブソン
James J. Gibson
環境は「座れる」「登れる」といった行為の可能性として、直接に知覚される。
メルロ=ポンティ
Maurice Merleau-Ponty
身体は精神に操作される機械ではなく、それ自体が世界へ向かう主体である。
湯浅泰雄
Yuasa Yasuo
心身の統一を、前提ではなく修行によって達成される状態として捉え直した。
フーコー
Michel Foucault
身体は権力が刻み込み、訓練し、従順にする対象であり、その効果でもある。
市川浩
Ichikawa Hiroshi
身体を主体でも客体でもなく、両者が絡み合う「錯綜体」として捉えた。
レイコフ/ジョンソン
George Lakoff & Mark Johnson
抽象的な思考は、身体経験に由来する比喩の体系によって組み立てられていると論じた。
ダマシオ
Antonio Damasio
情動の身体的な印が、意思決定を導いていると論じた。
ヴァレラ
Francisco Varela
認知を世界の内的な写しづくりではなく、生きた身体が環境と関わりながら世界を立ち上げる活動とみなした。
アンディ・クラーク
Andy Clark
認知の境界は頭蓋骨や皮膚で終わるのか、と問うた。
カール・フリストン
Karl Friston
知覚も行為も、自らの状態についての予測誤差を最小化する一つの過程として説明しようとした。
リサ・フェルドマン・バレット
Lisa Feldman Barrett
情動には普遍的な指紋がなく、内受容感覚と概念から脳がその都度つくり出していると論じた。
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