一言でいうと
心は頭のなかだけでは動いていない。
主張の広がり
「身体化認知(embodied cognition)」という看板の下には、強さの異なる複数の主張が同居している。
- 概念は身体経験に基づく比喩によって構造化されている(レイコフ&ジョンソン『肉中の哲学』)。「議論は戦争だ」「未来は前方にある」といった比喩体系が、抽象的思考を組織する。
- 知覚と認知は身体の運動能力に依存する(メルロ=ポンティ、ギブソン、ノエ)。
- 認知は身体と環境を含む系として実現される(ヴァレラ、クラーク)。
- 特定の身体姿勢や動作が、特定の心的状態や判断を引き起こす(社会的プライミング研究)。
このうち4は、他の三つとは証拠の性質が根本的に異なる。
再現性危機で何が起きたか
2010年代の心理学の再現性危機で、4に属する著名な研究の多くが再現に失敗した。
- パワーポーズ:Carney et al.(2010、N=42)は、拡張的な姿勢がテストステロンを上げ、コルチゾールを下げ、リスク選好を高めると報告した。Ranehill et al.(2015、N=200)の追試では、主観的な「力の感覚」は再現したが、ホルモンおよび三つの行動課題への有意な効果は見出されなかった。2016年には原著者の一人ダナ・カーニー自身が、この効果を信じないと表明している。
- 顔面フィードバック:ペンを歯でくわえる(笑顔に近い)と漫画が面白く感じられるという古典的知見について、Wagenmakers et al.(2016)は17研究室・計1,894名の登録追試を行い、条件間の平均差が10点尺度で0.03点(95%CI −0.11〜0.16)——実質ゼロであることを示した。
- 加齢に関する語のプライミングで歩行が遅くなる、清潔行為が罪悪感を軽減する「マクベス効果」なども同様に再現されていない。
このサイトでの扱い
重要なのは、これが身体化認知プログラム全体の反証ではないという点である。1〜3の主張は、まったく別の証拠に基づいている。運動制御論(ベルンシュタイン以降)、固有受容感覚、内受容感覚の神経基盤——これらは堅実な系譜である。
したがって、身体化を事業や臨床の根拠として用いる場合は、次を確認するとよい。
- 前登録された大規模な再現研究があるか
- 効果量が実務的に意味のある大きさか
- 動物実験の因果と、ヒトの相関が混同されていないか
これらを満たさない主張は、「仮説段階」として扱うのが適切である。