連続性のテーゼ
アリストテレスにおいて、魂は生きた身体の形相であり、思考は栄養摂取や感覚と同じ有機体の能力の階層に属していた。ダーウィンは人間を自然史の連続体に置いた。デューイは有機体と環境の相互作用を単位とした。
ヴァレラはこれを最も明示的に定式化した。自己維持するシステムにとって環境は中立ではない。何が栄養で何が毒かは、システムの組織そのものが決める。この意味生成(sense-making)こそ、認知の最も原初的な形である——生命と認知は連続している。
現代の争点
フリストンの自由エネルギー原理は、この連続性を数学的に定式化しようとする試みとして読める。自己維持する系がその境界を保つことと、予測誤差を最小化することは、同じことの別の記述だという主張である。
ただし、この対応が実質的な統合なのか、異なる問題を同じ数式で書いているだけなのかは論争中である。連続性のテーゼそのものも、認知をどこまで薄めるのかという問い(細菌に認知はあるのか)を抱えたままである。