歴史
interoception という語自体はシェリントン(1906)に遡り、当初は内臓感覚を指す解剖学的分類だった。この語が身体論の中心へ躍り出たのは、2000年代である。
A. D.(バッド)クレイグは2002年の総説で、身体の生理的状態を伝える上行経路が脊髄視床路を経て島皮質に至ることを示し、前部島皮質を身体状態の統合と主観的感情の座として位置づけた。彼はこれを「the material me」と呼んでいる。
ヒューゴ・クリッチリーらは、心拍知覚課題(自分の心拍を数える、あるいは提示音と心拍の同期を判断する)を用いて、内受容感覚の精度に個人差があり、それが前部島皮質の活動および灰白質量と関連することを報告した。
哲学的系譜
内受容感覚研究は、長い思想的系譜の現代的な結節点である。
スピノザの affect(身体の活動能力の変化)、ウィリアム・ジェームズの「身体変化の知覚こそが情動である」、ダマシオのソマティック・マーカー——これらはいずれも、感情を身体の側から捉える試みだった。内受容感覚は、その神経基盤を与えるものとして受け取られている。
現代の理論的展開
リサ・フェルドマン・バレットの構成主義的情動理論では、内受容の信号は情動そのものではなく、概念によって意味づけられる素材である。同じ胸のざわつきが、文脈によって不安にも高揚にもなる。
フリストンの能動的推論の枠組みでは、内受容は身体内部の状態についての予測とその誤差最小化として記述される。ホメオスタシスの調節そのものが推論として扱われる。
注意点
内受容感覚は現在もっとも活気のある領域だが、いくつか区別が必要である。
- 内受容の精度(心拍を正しく数えられるか)、内受容の感度(主観的にどれだけ気づいているか)、内受容の自覚(両者の一致度)は別の構成概念であり、相関が低いことが報告されている。
- 内受容感覚の訓練が不安やうつを改善するという主張は、予備的なものが多い。介入研究の質と効果量を確認する必要がある。