三つの起点
モースの身体技法(1934)は、身体の使い方が社会ごとに学習される技法であることを示した。ブルデューのハビトゥスは、それを身体化された社会構造として定式化した。フーコーの規律訓練は、制度がどのように身体を配置し訓練するかを歴史的に記述した。
ヘルスケアに関わる者にとって
このテーマは、身体に関わる事業や臨床を設計する立場からは避けて通れない。
健康を管理し、数値化し、自己責任として個人に帰す枠組み——ウェルネス産業、健康経営、ウェアラブルによる自己追跡——は、フーコーの語彙で分析される対象そのものである。
重要なのは、これが「健康増進は悪だ」という主張ではないことである。示されるのは、善意の介入もまた特定の権力の形式であり、それが何を正常とし何を逸脱とするかを問う必要がある、という点である。
障害の社会モデル
同じ論理は障害学にも及ぶ。障害を身体の欠損ではなく、社会的障壁が生み出す帰結として捉え直す社会モデルは、身体そのものではなく身体と環境の関係を問題にする点で、アフォーダンス論とも呼応する。