歴史

ウィリアム・ジェームズは『心理学原理』で、習慣を神経系の可塑性の帰結として論じた。繰り返された経路は通りやすくなる。習慣は「社会のはずみ車」であり、それなしには意識はあらゆる些事に消費されてしまう。

デューイはさらに進んで、習慣を単なる反復ではなく、環境との関わり方の構えとして捉えた。習慣は次に何が起こりうるかを先取りしており、その意味で知的である。

メルロ=ポンティにとって習慣とは、身体図式が新しい可能性を獲得することである。杖に慣れた人にとって杖は道具ではなく、触覚が及ぶ範囲そのものになる。オルガン奏者は初めて触れる楽器の前で、鍵盤の配置を身体で測る。習慣は知識でも反射でもなく、その中間の水準にある。

社会理論における習慣

モースの身体技法、ブルデューのハビトゥスは、習慣を社会的な水準へ拡張する。歩き方、座り方、食べ方は、個人の癖ではなく、社会集団ごとに学習された身体の使い方である。フーコーの規律訓練は、この学習が制度によってどう組織されるかを扱う。

注意点

行動科学における「習慣形成」(手がかり→行動→報酬のループ、21日で習慣化する、など)は、ここで論じられている習慣とは別の対象である。後者は測定可能な行動頻度を扱い、前者は行為の様態を扱う。ヘルスケア領域で習慣という語を使うときは、どちらの意味かを明示したほうがよい。