三つの起点
マルセル・モース「身体技法」(1934年講演、1935年発表)。歩き方、泳ぎ方、しゃがみ方、出産の姿勢——これらは社会ごとに異なり、学習される。モースは、フランス兵とイギリス兵が同じ行進のリズムを取れなかった経験から、身体の使い方が社会的に伝達される技法であることに気づいた。
ブルデューのハビトゥス。身体化された性向のシステム。階級や集団に固有の身のこなし、味覚、姿勢は、意識的な選択ではなく、身体に沈殿した社会構造である。
フーコーの規律訓練。学校・軍隊・病院・監獄は、空間を区分し、時間を分割し、動作に正しい形を指定することで、有用かつ従順な身体を作り出す。
三つの身体
医療人類学のシェパー=ヒューズとロックは、身体を三つの水準で分析することを提案した(1987)。
- 個人的・現象学的身体:生きられている身体
- 社会的身体:自然・社会・文化を思考するための象徴として使われる身体
- 政治的身体(body politic):規制され、監視され、管理される身体
この枠組みは、このサイトが辿る「三つの系譜」と部分的に重なる。
現代における意味
健康を管理し、数値化し、自己責任として個人に帰す現代の枠組み——ウェルネス産業、健康経営、ウェアラブルによる自己追跡——は、しばしばフーコーの語彙で分析される。
重要なのは、これが「健康増進は悪だ」という主張ではないことである。示されるのは、善意の介入もまた特定の権力の形式であり、それが何を正常とし何を逸脱とするかを問う必要がある、という点である。身体に関わる事業や臨床を設計する立場からは、避けて通れない視点である。
障害の社会モデル
同じ論理は障害学にも及ぶ。マイケル・オリヴァーらの社会モデルは、障害を身体の欠損ではなく、社会的障壁が生み出す帰結として捉え直した。身体そのものではなく、身体と環境の関係が問題である——という点で、アフォーダンス論とも呼応する。